2017年11月 私たちのLIFE SHIFT

2017年11月例会は、10月に行われた公開イベント「LIFE SHIFT 未来につながる働き方」に引き続き、実際にライフシフトを経験した会員の話を聴こうという主旨で企画が動き出した。「会員の話をじっくり聴きたいので、レストランではなく落ち着いた会場を選ぼう」「お弁当は、どういうものが良いかな?」。11月例会のプロデューサー(責任者)は、公開イベントの準備と並行して企画を練っていた。会員が自ら企画・運営していくことで、仕事にはない経験をして、力を付けていく。

よこの会は、パラレルキャリアを実践できる場、と言っても良いかも知れない。

(フレンチのお弁当がセレクト)

新しく明るい会場には、会員以外のゲスト7人を含む40人が集まった。二人の子どもの母親であると同時に、2度の転職をしながら人事業務でキャリアを積み、勤務先の会社を東証・名証2部に上場させたという、会員の鈴木さんを迎え、じっくりと話を聴いた。

紺色の上着にブルー系のストライプ模様のスカーフ、さわやかな笑顔が素敵な鈴木さんの自己紹介からスピーチは始まった。

「一日一驚き」の毎日から、IPO(株式公開)へ

ホテルを経営する企業に転職した鈴木さんを最初に驚かせたのは、入社のあいさつをしても、にこりともしなければ誰も拍手をしてくれない社員たちだった。ホテル業なのに何故なのか。他にも厳しすぎるハウスルール(頭髪基準、黒いスーツ)やヒエラルキー。名刺を作ってもらえないことに加えて、徒党を組むからとの理由で飲み会禁止。有給休暇も社長決裁と病気のときでも取りづらい制度があった。

そんな中、入社半年後に、経営層から上場を目指すことを告げられ、まずこれらの労務改善に着手し始める。IPOは通常2期前(直前期・直前々期)から本格的にスタートする。賃金請求権は2年で時効になるので、上場から過去2年間には未払いの賃金請求権がないようにするため、労務関係の運用を改めなくてはいけない。昨今の働き方改革の影響もあって、過重労働に対しては非常に厳しく、上場審査基準をクリアするため、主幹事の証券会社からしっかりとしぼられ、次々と課題を解決しながら、制度の改善を進めた。

まずは正しい労働時間管理のためのシステム導入。ある人はハンコ、ある人はタイムレコーダーでとバラバラの勤怠管理だったものをICカードでの管理に統一した。給与体系の見直しや従業員に説明できない手当も撤廃。有給休暇の決裁権限は社長から課長職に変更して、少なくとも年4日はどの社員も有給をとれるように変更した。ほかにも、人によって不平等だった通勤手当の支給上限やパート社員の時給体系を全社統一していき、制度設計していった。

会社としては、労務改善はコストアップだったが、上場のために経営層が受け入れる意思決定ができたことが非常に良いことだったと振り返る。

IPOはスポーツ!

実際に上場までをやってみて思ったのは、「IPOはスポーツ!」ということ。短期間の中で、次々とハードルが待ち構えていて、クリアしてもすぐ目の前にはもうひとつ高いハードルがすぐに出て来る・・・。がむしゃらに乗り越えていくと気が付けば随分高い基準をクリアしていた。「次のハードルはなに?どこ?」とばかり考えていた、3年間だった。

どんどんと改革を進めた鈴木さんだが、社内での反発がないわけではなかった。入社直後に名刺とメールアドレスを申請したら「中途入社の分際で・・・」と大騒ぎになった。これは仕事上必要なことで突破すべき習慣の壁だと思って譲らなかった。鈴木さん以降の途中入社の人には、名刺とメールアドレスは入社当日に準備されるように変更された。

目に見えることをどんどん改善していると、「鈴木さんが来てくれてから良くなった」と、直接言ってもらえたり、会ったこともない社員が話していると聞いたこともあった。しかし、いいことを言う人ばかりではない。生まれて初めてネットに書き込みをされるという経験をした。ショックのあまり、その日は眠れなかった。

LIFE SHIFT

大学卒業後、関西の食品メーカーに営業職として入社した鈴木さん。デパ地下での販売を担当したが、1年目の12月に店長と喧嘩をして退職願を書いた。それがきっかけで、その後半年間リクルーターを努めた。いま思えば、そこが大きな転機で、人事の仕事に出合った。女性を積極的に活用する会社で、育児休業取得の先頭集団であったことから、「女性管理職第1号に」という言葉をかけられ、自分でも管理職を目指さなければならないと思い込んで、肩に力が入っていた。

会社からは期待される存在であったが、家族が病気に。会社には家族の病気のことをひた隠し、「キャリアアップを目指す鈴木さん」を演じていた。通勤時に思いきり泣いて出勤したことが何回もあったが、「あなたもどこかでエネルギー補給しないと共倒れよ」と言われたことがきっかけで、実家に戻って両親にエネルギーをもらいながら生活しようと決意。実家から近い名古屋の会社への転職を決意する。これが第2のライフシフト。

転職した精密機器のメーカーは、創業100年を迎える老舗。社長から、「技術者の教育をしてほしい」との要望があり、困っていたところ、技術顧問(元SONYの役員)に出会い、専門分野の違いはあっても、教育の進め方の根本は同じという気づきと自信を得ることに。ところが、育児に協力してくれていた母を病気で失い、それまでの片道2時間の特急通勤が現実的でなくなった。地元での就職を探していたところ、人事担当者を募集していた今の会社に出合う。これが第3のライフシフト。

学び続けること

鈴木さんのキャリアの展開をたどると、①困難な状況が発生する→②解決策(職場を変える)→③問題にぶつかる→④解決する・さらに前進させるというサイクルになっている。多くの人なら①の困難な状況の発生も逃げたりつぶれたりしてしまいそうな中、あきらめないこと、③の新しい環境で問題にぶつかるのは誰にでもあることかもしれないが、そこで同化したり、転職したりせずに④で解決してしまうこと。

解決だけで満足せずにさらに次のレベルを目指す。その原動力は何なのか。

20代の早いうちに人事の仕事に興味を持ち、「人事マンチェックリスト」を自分の頭の中にセットして、そのコンプリートを目指して率先して仕事をしてきた。育休中に、キャリア・ディベロプメントアドバイザー、その後、キャリアコンサルタントの資格を取得した。人事マンの専門性をブラッシュアップすることに加えて、大学院の女性リーダー育成コースに通い、アカデミックな裏付けができたことで大いなる自信になった。

よこの会との出合い

よこの会には2006年に入会。家族の病気が発覚してふさいでいるころに、知人から紹介されたことがきっかけで参加してみると、なんとも言えないパワーを感じて、入会を即決し、その後、いろいろな担当や文章講座、管理職おしゃべり会を通じてたくさんの経験や励みをもらった。

そして、これから

役職なしで入社したあと、翌年には課長、今年人事部長になった。トントンとキャリアステップを上がったので、元旦に、2社目に転職したころからの振り返りをした。過去を整理したうえで、未来をみたときに、「このままでは飽きる」という言葉が浮んだ。今後役員になったときにどうなるのか。また違う会社で挑戦し続けるのか、どんな選択をすればいいのか、もがいている。けれどそんな時には、よこの会の大先輩がかけてくれた言葉を思い出す。

「鈴木さん、大丈夫よ、決めるときは自然に決められるから」

参加者のアンケートからの感想

鈴木さんの話が素晴らしかった
ひとりの会員の話をじっくり聞く形の例会が良かった
例会の構成や掛け合いが良かった
会場が良かった
お弁当が美味しかった

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